気ままな独り言 (2)

思いつくままに、気ままに書き留めるブログ by 団塊世代シニア  http://blog.goo.ne.jp/shikohra から引越して来ました(2015年5月)

2016年02月

直木賞・芥川賞受賞作を読みました。

今年の受賞作品を読みました。

1直木賞芥川賞

先に読んだのは直木賞受賞作の『つまをめとらば』(青山文平)です。これは、タイトルと言うよりも、新聞広告で“山本周五郎、藤沢周平の系譜を継ぐ”という宣伝コピーに惹かれて(飛びついたと言った方が正確かな)購入しました(あの二人の系譜なら間違いない)。表紙帯にあるコピー「女という圧倒的リアルを描く」という観点からは山本周五郎的であり、「傑作武家小説」という表現は藤沢周平の流れのように思えました。短編集なのですが、登場する武士はどれも下級武士、藩の重職にない侍たちですが、その人柄、言動が、確かに、随分と昔に読んだ藤沢周平(懐かしい!)を思い出しました。また読んでみようかな。

 

3芥川賞

次いで全文掲載された文藝春秋を買って芥川賞受賞の二作品を読みました。

こちらはどちらも、うう〜ん、というのが正直な感想です。ストーリーも、登場人物には共鳴するところも、納得するところもない、昨年のベストセラー『火花』と同様な読後感でした。一般的に直木賞は大衆娯楽小説、芥川賞は純文学を対象とするとされているので、そのせいかもしれません。私自身が純文学を理解する素養がないこともあるでしょう。ですが、最近の直木賞受賞作の『サラバ!』(西加奈子)や『何者』(朝井リョウ)でも同じような読後感でした。多分、自分が、今時の若い人たちの感覚と相当に違っているのでしょう。とすると、賞の性格というよりも、作者の年齢による違いが大きいのではないか。一方で、今年の直木賞受賞『つまをめとらば』の青山文平氏は自分と同い歳、うん、これに違いない(笑)

 

ということで、これからは書物の選択においては作者の年齢を重視するようにします(笑)。それはともあれ、日頃よく読むイタリア関連とは全く違う分野の小説を読んだことは新たな刺激でもあり、楽しかったです。

エスプレッソ作りに挑戦中!

イタリアでアパート滞在した時に覚えたビアレッティ社のマキネッタでモカコーヒーを淹れるようになって5年以上が経ち、以来毎日2、3回飲んでいます。それまではドリップ式で20年以上も淹れていたのですが、美味しさ、楽しさ、簡易さなどから、すっかりモカ党になっています。ただ、マキネッタは日本では直火式エスプレッソマシンと呼ばれることもあるのですが、機械で圧縮するエスプレッソとは相当違います。専門家によると、イタリアには“イタリアンコーヒー”という括りがあり、その中にエスプレッソとモカコーヒーがあるのだとか。イタリアでは外でエスプレッソ、家ではモカコーヒーなんだそうです。

 

現行のマキネッタに不満があるわけではないですが、偶然、ネットサーフィン中に、同じビアレッティ社が同じ直火方式でもってエスプレッソを淹れるモデルを作っていることを知りました。アマゾンなどでのユーザー評価を読むと、評価にかなりのばらつきがあります。一番多い争点はクレマというエスプレッソ特有の泡が立つかどうかという点のよう、でも概ね満足しているユーザーが多いので、私も試してみることにしました。

 

届いてみてビックリ、大きいのです!

01Brikka全貌

従来のマキネッタと新しいブリッカを並べて比べたものが次の2点です。

1比較1Express_Moka 2比較2部品

右がスタンダードのモカ用マキネッタ3カップ用のものですが、我が家では二人で適量です。で、左が今回購入したブリッカ。こちらはエスプレッソ4カップ用、アマゾンのユーザー評価で二人で丁度とか、中には一人で飲みきるという猛者までありましたが、我が家では濃厚なエスプレッソなので二人にはちょっと多い。イタリアだと、濃厚にしてグイッと一口か二口で飲むとして4カップなのかも。

 

この二つのコーヒーメーカーの一番の違いはコーヒーを抽出する時の圧力です。モカだと特に感じない圧力ですが、ブリッカでは、通常、大掛かりな機械のエスプレッソマシンでかける圧力を(それに近いものを)この道具内で実現させるわけです。そのために、モカ用よりも遥かに大きくなり、蓋もトップが開いているのです。水量は僅か、容器の半分以下なのに、コーヒーの粉はモカの倍近く入れます。

 

で、ここからが肝心なのですが、仕上がり時にガスの火を止めるタイミングが難しい。シュッシュという音がしたら火を止めろと言われ、その通りにしたつもりが、当初の2、3回はコーヒーをガスコンロの周りまで吹きこぼしてしまいました。それからはガスコンロに火をつけたら側につきっぱなしで耳を傾ける、緊張モード、回数をこなすと時間の目安もつくようになり、過度の緊張はなくなり、何とか吹きこぼさずに淹れられるようになりました。

4仕上がり1 5仕上がり2

次なる課題はクレマと呼ばれるエスプレッソ特有の泡立て、これがかなり難しい。何度も試してはいるものの、なかなか満足のゆく出来栄えには到達せず、クレマは少しは立つようになったのですが、肝心の味のほうは本来のエスプレッソとは大きな開きがあり・・・先行きの目処が立たず、さて、どうしたものか、どうしたらエスプレッソらしい風味が出るのだろうか。とはいえ、ともかくも新しいことへのチャレンジ、ネスプレッソなどの機械に頼らずハンドメイドの道をたどることは楽しいもの、と自分に言い聞かせてチャレンジを続けている状況ですが・・・さて?

観た、読んだ、「ニューヨーク 眺めのいい部屋 売ります」

書店の文庫本コーナーに平積みされている中から目に止まり買って帰ったら、その日の夕刊に映画の紹介がありというタイミングの重なり。さてどちらを先に?大体は、小説を先に読んだ後で映画を見ると、登場人物が文字・文章から作り上げたイメージに合わずにがっかりすることが多いので、今回は映画を先にしました。

1NYC映画01

主役の二人、モーガン・フリーマンとダイアン・キートンは絶妙ですね。黒人と白人の結婚にまつわる試練を乗り越えてきた老夫婦を実に軽妙に演じています。週末という短い時間帯が舞台ですが、合間合間に結婚前後の回想シーンを織り込み、その若い時代を演じる俳優二人が現在の二人と違和感なく繋がるものでした。最終的にはドラマらしく、落ち着くべきところに落ち着くのですが、その間の二人の気持ちの動きが、ふんふん、なるほど、それで・・・と気持ちを投入しながら楽しみました。

 

ここまでは原作本は読む前に映画を観ての感想です。

 

ここから以下が原作を読んでからの感想です。

2眺めのいい部屋

映画の後の読書は、視覚的に目に焼きついた映像イメージをどのくらい引きずるのか、原作を映画でどのように違えているのか、という観点を意識しながら読み始めました。

先ず第一の大きな違いは主人公夫婦の設定。映画では、現代ほどには受け入れられていなかった時代の黒人と白人の夫婦、そのため偏見に苦しんだろうと推測される。一方、原作の小説では白人同士だが、マッカーシーによる赤狩りの激しかった時代に、共産主義シンパとして追求されたという苦難を経た夫婦となっている。これだけのことで、映画での夫婦のイメージから離れることが出来たのは助かりました。映画以上に冗談の少ないシリアス、それでいて重くはない、そんなイメージかな。

 

もう一つの大きな違いは愛犬のドロシー、原作では映画より重要な役割を与えられています。登場場面が多いだけでなく、ドロシーの心・想いが言葉にされているのです、それもかなりの量で。動物の観点から見た社会(病院内ですが)の様子、これは面白い。

 

他にも、不動産エージェントのリリーやオープンハウスに登場する人々も違って表現されているし、現在のアパートを売って、別のアパートに買い換えることも、その計画を止めてしまう映画の結末とは違っていました。これは、映画では結末が大きなハイライトとしたかったためかと推測しています。起承転結が映画では必須なのでしょうが(特にアメリカ映画)、この原作では特に結末をハイライトと位置付けてはいないようで、それはそれで小説らしいと思いました。

 

結論として、映画、小説、どちらも良さが出ていると思います。映像からなる映画だったらこういう描き方がいいだろうな。一方、文字のみで伝えられる小説なら、想像の余地を残した表現の方がベターかな。いずれにせよ、どちらを先にしても楽しむことが出来ると思います。

 

余談ですが、日本語タイトルはどちらも同じ「ニューヨーク 眺めのいい部屋 売ります」ですが、英語では違っています。原作本は Heroic Measures、映画は 5th Floors Up 。映画の方は5階の住居を表しているので分かりやすいものですが、本の方はどんな意味なのだろう?Heroicを調べてみると “勇敢な”だけでなく“懸命な”という意味もあり、Measuresは“処置”とか“対策”とか。ううん、英語の達人に聞いてみたいですね。

インスタント味噌汁うどん

インスタント味噌汁を使ったうどんが便利です。

 

我が家にいる時の昼食は、ほとんど乾燥麺類です。パスタ(たまに生パスタを打つこともありますが頻度としては大体は乾燥パスタ)、うどん、蕎麦のいずれかです。うどんや蕎麦の場合、春から秋までは冷たいざる形式ですが、冬場はやはり温かいうどんを食べたい。その場合のツユは万能ツユなどを薄めて使うことが多かったのですが、先日、ふと思いついてインスタント味噌汁を試してみたところ、これが中々いけるのです。

丼にインスタント味噌汁を茹で汁を使って用意したところへ、茹でたうどんを直接入れたもの。これはワカメ味噌汁でした。

味噌汁うどん1

これだけでは寂しいのですが、残り物のホウレンソウを足して、ネギを添えて、そこに白胡麻を振ると:

味噌汁うどん2

見栄えも様になります。

際立つ美味しさというほどのものではありませんが、お手軽で、それなりの満足感を得られるものになります。便利なので、それ以来、何度かいただいています。もっとも、うどんのツユとして使うので、味噌汁としての味わいはあまりありませんが(苦笑)。まだまだ寒さが続くでしょうから、これからも何度もお世話になることと思います。

松田公太「愚か者」を読みました。

松田公太については、数年前に彼の自叙伝「すべては一杯のコーヒーから」を読んで起業家として関心を持った直ぐ後に、なんと参議院選挙に立候補、東京選挙区だったので勿論一票で応援したら当選、以来、ツイッターやブログでフォローしてきました。一昨年来、みんなの党の分裂・解党、日本を元気にする会の立ち上げと、1期生議員ながら役割の重要性が年々増してきていることも起業家らしいなと思って見ていました。幾つかの争点においては同意できない点もありますが、彼のブログを読んでいると、考え方、物事の捉え方、仕事・プロジェクト・課題の取り組み方・進め方には大いに納得するところがあり、期待している政治家です。

 

その松田公太議員が今年になって2作目の自叙伝を出版したというので、早速に本屋に出かけて購入しました。題して「愚か者」、キャッチーなタイトルですね。

松田公太1

読んでみて、「愚か者」がぴったりのタイトルと納得しました。帯裏に「はじめに」から引用された文章に彼の意志・意思が濃縮されていると思いますので、ここに引用します。

 

『 確かに、”愚か者“なのだろう。しかし、たとえ一時は誤解を受けようとも、愚直に生きてこそ、人生に価値が生まれるし、社会を動かすことが可能になると私は信じているのである。』

 

彼の言う愚直さから、幕末期の会津藩の生き様を思い起こしました。徳川家への忠義という大義のために損な役割の京都守護職を引き受け、京都に着いてからは天皇を守るという守護職を全うするために薩長の恨みを買い、その後、どんなに恭順を示しても受け入れられず、ついには藩ごと滅亡に到る。そんな会津藩が多くの人々の支持を受けるのは“愚直なまでのひたすらさ“の故、愚直という表現が日本人の心に響くのでしょうね。

 

この本に戻ると、前半は自叙伝第1作と重複する部分が多いですが、後半は政治家になってからの奮闘・苦闘の様子が語られます。読んでいて、ますます応援したい気持ちが募りました。一方で、この愚直さ故に、国会議員の間での仲間を増やすことは難しいだろうなと思われ、先行きの懸念も感じます。今年の参議院選挙は2期目としてチャレンジするでしょうが、もう6年勤めたら政治家を辞めてしまうのではなかろうか、「自分にはベンチャー企業の方が似合っている」なんてことにならないだろうか、そうなったら寂しいな・・・

 

珍しい読後感になってしまいました(笑)
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